私たちは、建設職人の技能・技術を活かし、地域の皆様とともに、持続可能な住みよいまちづくり、住民福祉の向上、地域経済の発展等に貢献していきたいと考え、活動しています。 |
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■地震・災害への対策 | ||
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●杉並区での防災活動
杉並区での防災活動に力をいれています。2007年7月に杉並区と家具転倒防止器具取り付け事業の委託契約を結んだのを契機に、その後も2010年4月に住宅用火災警報器、2016年6月に感震ブレーカー取り付け事業の委託契約を結び、地域防災の向上に努めてきました。 杉並支部事務所は杉並区と協定し「帰宅困難者一時滞在施設」として登録されており、組合員有志による「まちの救助隊ビーバーズ」は杉並全域に仲間がいます。また、杉並支部が事務局を務める小規模建設事業団体連絡会(東京土建杉並支部・首都圏建設ユニオン杉並支部・杉並建設労働組合・杉並民主商工会で構成)が、杉並区と被災時における民間住宅の応急修繕に関する協定を結んでいます。 ●杉並区と防災協定を締結 被災の時に杉並区の要請に応じ住宅相談や応急修繕
連絡会は既に毎週月・金曜日に区役所1階ロビーにて住民にむけて増改築相談コーナーを設ける増改築相談事業協定を結んでいますが、これに続く2本目の協定です。3.11東日本大震災では、杉並地域においても震災の影響で住民から家の修繕について多くの相談が寄せられ、震災直後からの1ヶ月間で140件余りの相談が支部に寄せられました。その声に私たちが丁寧に対応し勝ち得た信頼が協定につながったこともこの防災協定の根底にあります。 協定内容は被災に際して(自然災害時)連絡会が、杉並区の要請に応じ民間住宅への応急修繕の相談や応急措置をしていくという内容です。 懇談時に田中区長(杉並区)は、「3.11において今までにない災害に見舞われました。今までも官・民のルールがあったが見直す必要が出てきており、そこを早く解決していくことが大事です。災害対応は役所だけでつくっていくものではなく、地域の皆さんと一緒になって考えていくこと。本日は有意義な締結ができた」と締めくくりました。 私たち建設労働者は被災地の復興支援でも大きな力を発揮していますが、あらためて地域で担う役割の重要性が明確となりました。 |
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■「住宅デー」(春・秋) | ||||
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■「土建まつり」(住宅デースペシャル) | |||||
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■授業の支援活動 | ||
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●授業支援活動のバックナンバー ・2018年の活動 ・2017年の活動 |
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■その他の活動 |
■平和運動のまとめはコチラ |
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■復興支援活動 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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復興の支援活動東京土建杉並支部は微力ながら 2011年3月の東日本大震災の被災者支援にも労働組合として取り組んでいます。 19人の仲間が被災地支援活動 〜2016年10月1日・2日福島県南相馬市〜
1日(土)は原発事故の福島復興本社が置かれているJビレッジ内での東京電力による説明会と富岡駅、請戸小学校などの現地視察をおこないました。2日(日)は南相馬市ボランティアセンターを通して、小高区内の被災者のお宅2軒で樹木伐採や草刈りをおこない、被災者から感謝の言葉をいただきました。 49人の仲間が被災地支援活動 〜2015年10月31日・11月1日福島県南相馬市〜
31日は豚舎解体班と現地視察班に分かれて行動し、豚舎解体班は昨年春に実施した佐藤邸の解体作業の続きをおこない、現地視察班は、現地9条の会のガイドが同行し、浪江町、鈴木安蔵(憲法草案要綱をまとめた人物)の生家、請戸小学校などを視察しました。 11月1日は地元高校生が主催する町おこしイベント「サムライフェス」に協力する形で住宅デーをおこないました。仕事対策部を中心に建設職人の技術を活かして製作した江戸時代風テントは参加者からも喜ばれ、主催者からは「東京土建さんの段取りの良さに、こちらは手を出すことができなかった。またぜひ力を貸してください」と感謝の言葉が述べられました。 25人の仲間が被災地支援活動 〜2015年5月30日・31日福島県南相馬市〜
30日、杉並支部をバスで出発。現地の9条の会のガイドに同行していただき、いわき市から双葉郡富岡町まで見学しました。31日は社会福祉協議会のボランティアセンターを通じて、昨年同様、豚舎の解体をおこないました。ボランティアセンターの所長さんから「東京土建さんは一般のボランティアの人にはできない特殊な能力がある。この町で酪農をあきらめた住民から豚舎や牛舎などの解体依頼が後をたたない。ぜひまた力を貸してください」とのお言葉をいただきました。 31人の仲間が被災地支援活動 〜2014年9月27日・28日宮城県気仙沼市〜
2014年3月11日現在、警察庁のまとめでは東日本大震災による被害は、死者15,884人、行方不明者2,633人、震災関連死は1,407人です。津波に流されて、見つからない行方不明者が多いこと、また、福島原発や震災後の避難生活で体調を崩したなどによる震災関連死が多いことが特徴的です。 27日は、復興協会の手配で「小泉海岸の清掃作業」をおこないました。気仙沼市は、震災前にあった4つの海水浴場のうち、まだ1つしか再開できておらず、この「小泉海岸」も再開できていない海水浴場の1つです。 小泉地区は、震災当時、高さ24mの津波で住宅1万戸が流され1,031人が亡くなりました。この地区は205人の震災関連死があり、震災から3年半経過した現在も226人が行方不明のままです。小泉海岸は防潮堤などが流され護岸機能を失ったため、海岸は150m以上も侵食されていました。今でも海岸には、人骨や遺留品が流されてくるといいます。 清掃後、仲間は津波で流されてしまった飲食店などが集まる「復興屋台村気仙沼横丁」で夕食をとりました。牛島祐子さん(本手打ちうどん・たすく店主)が「今まで全国からたくさんの人が来てくれて色々な出会いがありました。屋台村の期限もあと2年。いつまでも甘えてはいられないので期限をまっとうしたら自立したい」と前向きに語ってくれたのが印象的でした。
ここには85世帯100人の被災者が暮らしています。 当日は、焼きそば、ポップコーン、カキ氷、包丁・まな板削り、銅板表札作り、その場で仲間が組み立てた引き出し付き本立てを無料で提供しました。 サプライズで気仙沼市観光キャラクターの「ホヤぼーや」と謎のマスクマン「ケセンヌマン」もかけつけ、仮設住宅には笑顔があふれ、多くの来場者を迎えることができました。 閉会式では、澤海弘明さん(阿佐谷・造園)作製の石膏仏像5体を寄贈し、自治会長の長屋享次さんからは「ありがとうございました。住民の方も本当に喜んでいます」と感謝の言葉が述べられました。 2日間、被災地の復興に微力ながら携わることができ、被災者の方に喜んでいただくことができました。
18人の仲間が被災地支援活動 〜2014年5月31日・6月1日福島県南相馬市〜
5月31日の朝に杉並支部に集合し、バスで南相馬市に向かいました。 一日目は、相馬双葉漁業協同組合請戸ホッキ会の志賀勝明会長に避難指示解除準備区域である浪江町を案内してもらいました。 津波で破壊された当時のままの請戸小学校、新聞販売センターには配布されることなく積まれた翌日の新聞、荒れた田んぼの中に点在する船や車両、基礎の一部だけ残る住宅。震災から三年経っても、放射能の影響で人が住めず、復興の進まない光景に愕然としました。 二日目は宿舎から南相馬市ボランティアセンターに向かいました。センターから活動内容が伝えられ、私たちは原町区で豚舎の解体作業をおこないました。 ユンボがない中、それぞれ手分けし、建屋躯体・コンクリートブロックの解体をおこないました。ボランティアセンターの方からは一般の人ができない作業をしてもらえるので、本当に助かると喜んでいただけました。
50人の仲間が被災地支援活動 〜2013年9月14・15日宮城県気仙沼市〜
14日は復興協会の手配で「お伊勢浜海岸の清掃作業」をおこないました。18mの津波で93人が亡くなったこの地区は震災から2年半経った今も防波堤は根本から倒れたままで、海岸は当時のがれきが多く散乱していました。 15日の日曜日は、気仙沼市社会福祉協議会と合同で「条南中学校仮設住宅」で被災者を元気付ける復興住宅デーをおこないました。 当日は、包丁研ぎにまな板削り、カキ氷や焼きそば、ポップコーン、その場で仲間が組み立てた木製イスを無料で提供し、銅板作り、生活相談をおこないました。 条南中学校の生徒がスタッフとして参加する嬉しいサプライズもあり、300人の来場者を迎えることができました。 仮設住宅は笑顔があふれ、被災地の復興に微力ながら携わることができた2日間となりました。
13人の仲間が被災地支援活動 〜2013年5月19日福島県南相馬市〜
センターから現場に向かう時の旧警戒区域の光景は昨年9月に来た時とほぼ変わっておらず、津波により荒れた土地には、流されたままの車やガードレールが放置されていて、舗装道路はゆがんだままの状態。 放射能の影響もあり、全く復興が進んでいない状況を目の当たりにしました。 小高区下浦の作業現場でガイガーカウンター(放射線測定器)を使用すると放射線量は毎時0.3μSv。また辺りに木々のそびえる森のような場所で観測した結果、最大で毎時0.8μSvを観測し、放射能汚染を実感しました。 ひとりの力は微力ですが、多くの力があれば被災地の復興も進みます。秋にも被災地支援行動をおこないますので、多くの仲間の参加をお願いします。
14人の仲間が被災地にて支援活動〜2012年9月15・16日 宮城・福島〜
翌日、16日は前日に東京を出発した8人の仲間と南相馬市ボランティアセンターに午前9時に集合。ボランティアセンターの案内人から当日のボランティア活動についての説明を受けました。今回支援を行ったお宅は、原発10km圏内の境界から少し手前の集落の1軒でした。家主からの挨拶の後、それぞれ室内を掃除、草刈、流木の撤去、大型家電の運び出し、側溝の清掃など各人作業に取り掛かりました。15時に作業を終了し、被災後初めてきれいになった家に家主からは感謝の言葉が述べられました。 【平田隆徳さん談】 支援活動をする原発20km圏内のお宅に向かう途中の光景には衝撃を受けました。元々田んぼだった土地は雑草で荒れ果て、ところどころに津波で流された廃車やグシャグシャになったガードレール、壊れたままの建物が目に飛び込みました。震災から1年半経過した今なお、まったく復旧がなされていない状況に唖然としました。少しでも復旧の手助けとなるように自分たちにできることで被災地に貢献していきたいと思います。 復興支援にと工具を寄贈〜2011年4月〜
大工ボランティア〜5月13日から16日にかけ3人の仲間が被災地へ〜
【堀場勇さん談】まだ道路も完全ではないなか、現地まで車で9時間くらいかかりましたが海岸線の道路沿いは見渡す限り瓦礫の山でした。 修繕に伺った家の付近は津波で川が増水して床上浸水した地域で、建物の外観はさほどの被害は見えませんが、内部は家具や荷物が散乱しひどい状態です。修繕作業をした家の中は、既にボランティアの方たちの協力で片付いており、私たちは、床や押入れのベニヤ貼りを中心におこないました。床ができ、住める家ができて生活の再建が進めばと思っています。 【三輪邦雄さん談】私たちが訪ねた5月半ばでも現場は余りの被害に指揮系統が混乱していました。 多くのボランティアの方が奮闘していて、私たちが作業した家も既に床を剥がして床下に石灰などがまいてあり、私たちは5部屋に30枚以上のベニヤを貼りましたが、スムーズにできました。伺った地域は海の全然見えない場所ですが、平屋は浸水で全ての家財がダメになったそうです。テレビでは、いとも簡単に「がんばれ」といいます。住民の方は明るく振る舞ってくれましたが、現地を見たらそう簡単にいえる言葉ではありません。 【内山二三男さん談】大きな道路は自衛隊、居住地域はボランティアの方たちが瓦礫の撤去などをしていました。大勢の方の協力で甚大な被害からの復興が進んでいます。私たちの活動もその手助けになればと思っています。今回私たちが張った床の仕上げは現地の建設職人たちがするようですが、復興にはまだまだ人手が必要だと感じています。 作業のボランティア〜6月に大船渡で〜
あたたかい気持ちを被災地へ〜冬季支援物資を配達〜
【高山千恵子・主婦の会会長談】11月の群会議を中心によびかけた結果、予定した車に積みきれないほどの冬物衣料や防寒着・毛布などが集まりました。 みなさんのご厚意の物資は、一部を先行して宅急便で送り11月28日深夜から30日にかけて、被災地・岩手県へ車で運びました。まず盛岡市にある岩手県建設労働組合連合会(全建総連に加盟)に伺い、その後、一部荷物を積み替え、津波で大きな被害を受けた大槌町の大槌建成組合にお届けしました。 被災地の現状を取材、義援金を送金
【十日町の岩田さんを訪問】 訪ねた十日町市の岩田春市さん宅では、当時のボランティア鉢嶺さんが再会を喜び合い、岩田さんは震災当時から今までの復興の道のりを語り、多くの人の支援に支えられたことに感謝し「再びこのような震災が他で発生した時は、ぜひ援助したい。人は助け合って生きていくものだ」と語りました。
まだ震災の爪痕が残る柏崎市では、多くの市民が市の復興支援室に相談に訪れていました。 取材した、海辺の仮設住宅に住む山村クニ子さんは、仮設住宅の助け合いの暮らしぶりや復興への意気込みを語り、「被災地の柏崎市民に届いた全国からの支援に感謝しています。今後どこかでこのような被害が発生した時は恩返しをしたいと考えています」と語られました。 取材内容は、杉並支部発行の機関紙「すぎなみ」2008年新年号に掲載して募金を呼びかけ、集まったささやかな募金16,549円を送金しました。 がんばれ小千谷! 杉並区に震災義援金60万円を託す
区長は「皆さんに大変感謝します。義援金は小千谷市の義援金として役立たせていただきます」と述べました。杉並区は、小千谷市と昨年5月に「災害時相互援助に関する協定」を締結しています。 復興支援にかけつける職人の技に感謝の言葉
【双木淳志(書記)リポート】 全建総連・復興支援ボランティアとして杉並支部では、2004年12月7日から9日までの3日間、新潟県十日町市に鉢嶺秋男常任執行委員(中央・大工)、望月眞喜男さん(中央・大工)、双木淳志書記が参加しました。 補修に当たった岩田春市さん宅は、3階建てで、地震で家が横に30cm、縦に60cm動いたそうです。 部屋の土壁が「ぬき」に押されてひび割れ、一部が崩落した被害箇所を壁全体に9ミリのベニヤ板を貼る修繕をしました。 「こんなにまでしてもらってどうも有難うございました」と何度もお礼が述べられ「大地震から1か月、ようやく幸運にめぐり会えた」と感謝される爽快感を味わいました。 全建総連が呼びかけた中越地震被災住宅の応急修理・復興支援ボランティア(2004年12月3日から9日まで)に、東京土建からも3次に分けて計6支部、34人(のべ73人)が参加しました。 |
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