平和・原水爆禁止運動 誓い~二度と戦争に協力しない~
杉並区平和都市宣言杉並区平和都市宣言

 戦前の杉並は、蟹工船で有名な小林多喜二らプロレタリア作家のつどった町でした。杉並支部の仲間は、戦前の労働運動の伝統と戦争の苦しみ、深い反省を胸に「二度と建設職人は戦争に協力をしないこと」を誓い組合を結成しました。1950年の警察予備隊創設に始まる再軍備路線に反対の声を全都の仲間とともにあげ、以後も一貫して反戦平和を訴えてきました。



「原水禁運動発祥の地」
平和行進平和行進

 1954年3月のビキニ環礁水爆実験では島民、兵士、そして太平洋上で操業していた第五福竜丸をはじめとする850隻を超える漁船と漁民が被災しました。漁獲したマグロはすべて廃棄処分となり「放射能マグロ」の報道に魚屋の客足は途絶え深刻な被害がおき、全国津々浦々で声があがりました。
 杉並では和田の魚屋さんの訴えを皮切りに、主婦を中心とした水爆反対の声が高まりました。そして、8月には原水爆禁止署名運動全国協議会が結成。杉並区立公民館に事務所を置いたこの運動は燎原の火のごとく広がり、署名は人口39万人の杉並区で30万筆、全国で3,000万筆集まり、翌1955年8月の原水爆禁止世界大会開催の原動力となりました。



1999年から平和のつどいを毎年開催
区役所前集会区役所前集会

 1999年から毎年、国民平和行進とあわせて平和のつどいを開催しています。この運動は、原水爆禁止大会への杉並地域からの代表を励ます激励の会であり、同時に杉並地域の平和を願う仲間がつどい、学ぶ場でもあります。
 戦争体験を語れる仲間がいた頃は仲間が講師になり、学者や主婦の体験談なども聞き、平和への考えを深めてきました。
 原水爆禁止大会には青年部を中心に代表を派遣しています。